HOME小説|月を宿す娘〜王の系譜〜


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  ■第1章(2)




 ディー、と呼ばれた少女は目を開けた。
 思ったとおり、きれいな顔立ちをしていた。白磁のようにきめ細やかな肌を縁取る銀の髪は、仄かに光を放つ月だけではなく流れる清水をも連想させた。そして形のよい鼻、薄紅に色付いた唇。
 しかしそれらが霞んでしまうほど目を奪われたのは彼女の瞳だった。
 そのまま月を映したかのような銀の瞳だというのに、研ぎ澄まされた水晶のごとくアンジュを射抜いた。やわらかな月の光を思わせるはずの色は、今まで見たことがないほど力にあふれ、アンジュは底の見えない闇が宿っているかのようにも感じられた。
 月とは正反対の闇を切り裂く太陽のような強さに、視線が交錯した瞬間言葉を失ってしまった。
「あ」
 ディーはまさか目の前に人がいるとは思っていなかったのだろう。するどく刺すような眼光は一瞬にして溶け、きょとんと目を見開く。
 それからすぐバツが悪そうに顔をしかめたディーに、アンジュもようやく我に返り笑顔を浮かべた。
「ごめん、別ににらんだわけじゃないから」
「ああ、おれもびっくりしただけ。気にすんな」
 手を軽くあげて振ったアンジュに、ディーはくすりと笑みをもらして手を上げかえした。先ほどまでの凍てつくような雰囲気とは全く違う春のあたたかさを滲ませた微笑みだった。
 そしてそのままセギのいる中央へと向かう。
 肩口から見えていた髪は、背中のなかほどに届くくらい長い。まとめられていない髪は歩くたびにさらりと風に乗り、ふわりとディーの背に収まるのを繰り返している。
 後ろ姿を見送ったアンジュは、ディーがいた場所に立って柱に寄りかかった。
 ――ディーのイリエを見るために。
 話しかけるタイミングを奪われたことにアンジュは特に不満を感じなかった。
 これから先長い付き合いになるのだから、そうあせる必要もない。
 たんなる直感でしかないけれど、彼女がイリエを起こすことになんの疑いもなかった。
 また、笑顔を浮かべた彼女の表情や声は思いのほかやさしいもので、ただ単に驚いただけのアンジュに対してすぐに謝ったディーの態度は、まわりで耳をそばだてていたり覗き見ていたライグたちにも少なからず衝撃を与えたようだ。
 先ほどとは少し違った視線がディーに向けられている。
  相変わらず表情を変えないセギの前にまっすぐ進み出たディー。注目を浴びていることに気づいているのかちらりと後ろを振り返って牽制すると、ためらうことなくヴィグレイスに手を伸ばした。
 まず映し出された色は銀。
 思ったとおりだ。だがしかし、次の瞬間誰も予想し得ないことが起きた。
 神官という職に就いてからヴィグレイスを見続けてきたであろうセギだけでなく、その場にいたアンジュを含めたほとんどの視線を釘付けにした。
 溢れ出した月の輝き。
 それは皆が身震いするほど強力な光の洪水。
 誰もが圧倒されたその力の奔流は、立っていたものは数歩後ずさり、座っていたものも思わずのけぞってしまうほど。
 それまで眉ひとつ動かすことのなかったセギは、ディーの起こしたイリエに驚嘆の表情を浮かべていた。
 ヴィグレイスから発する光は太陽のごとく強く、あたりに降りそそいだ雪のようなきらめきは驚くほどやさしい。イリエは水晶が起こす特異な現象でしかないのに、月のライグによって癒されたような気になるのはどうしてだろうか。
 日よけの屋根の下いっぱいに広がる銀の粒子は数秒で消えた。その痕跡を追いながら皆が畏怖の表情を強めている中で、アンジュだけが知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。
 嬉しくてしかたがなかった。
 自分よりも強いかもしれない相手に出会えたことが。
 ――沈黙が流れる。
 まさかこれだけのライグを、ひとりの人間が起こすとは誰も思っていなかったに違いない。
 ヴィグレイスは人の大きさはあろうかという円柱や六角柱のものが存在する。式典や儀式などでも使われるのだが、その大きさになるとひとりでイリエを起こせるものは王の血を継ぐ者だけと言われている。そんな石がなぜ使われるのかというと、イリエは複数のライグで起こすことができるからだ。
 今目の前で見たイリエは、まさに数人で起こしたかのような大きなイリエだったのだ。
「すばらしい」
 ほとんどの者が動けずに固まっていたなかで、まず先に声を発したのはセギだった。
「この地方でこんなイリエを見られるとは思っておりませんでした。ディー、と言いましたね。私の名で推薦をしておきましょう」
 ざわり、とその場がざわめいた。
 推薦。
 身分は全く重要視されないこの選定においては単なる口添えにしかすぎない。
 しかしそれはディエ=フライグへのフリーパスであった。この十年間でも推薦を受けることが出来たのは3人しかいない。
 そもそも推薦自体が異例である。ディエ=フライグ候補者の推薦をできるのは同じディエ=フライグである場合のみ。そのうえ神官の役職に就くディエ=フライグは数人しかいないと聞くのだから、推薦を受ける確率などあってないようなものだ。
 つまり、皆の中央に立つ無愛想で堅苦しく嫌味な彼は、神官の職に就く貴重なディエ=フライグということになる。
 そんな特別なライグであれば名が伝わっているはずなのに、セギという名を全く知らなかったのだから皆の動揺は当然だろう。彼は普通のライグなのだとしか思っていなかった。
 だがそれを告げるセギは、そんなことを露ほどもみせない相変わらずの鉄仮面。それだけに声に熱がこもっているように聞こえるのは、はっきりいって不気味である。
 それに引き換えアンジュは爆笑寸前だった。なんておもしろい事態なのだろうか、と柱に向かって笑いをこらえるので精一杯。
 あの徹底した無表情は嫌味でもなんでもなく素の顔で、推薦などという突拍子もない大胆な発言を出来る性格と地位の持ち主だとは思ってもいなかった。何よりもセギを甘く見ていた自分がおかしかった。
 まさかディエ=フライグのひとりだったとは。
 まわりがひいて固まっているなかで、ディーはどことなく諦めた雰囲気を放ちつつ、アンジュただひとりが身体を震わせる。
 そんな周囲を全く意に介せずセギは話し続けた。
「しかし月のライグとは思えないほど力強いイリエ……ああそうか、昨日は満月でしたね。なるほどあれだけの現象が起きるわけです」
「……ありがとうございます」
 表情を変えることのないセギが熱く訴えるその様に、ディーは半ば引きつった礼を返して彼の前を後にした。
 アンジュはなんとか呼吸を整えてディーを手招きで呼び寄せる。が、ディーは呼ばれて足を止めた。もちろんセギである。
「なんでしょうか」
「つかぬことを伺いますが、前にお会いしたことはありませんか?」
 背中がこわばったのはアンジュの見間違いだろうか。特に今までと変わらぬ声音で「心当たりはありませんが」とディーは答えた。
「そうですか、少しばかり見覚えがあったのですが気のせいですね。失礼しました」
 特に疑うことなく引き下がったセギをアンジュは興味深く見つめていると、彼は思い出したかのように再びディーに話しかけた。
「ああ、あとの剣技も期待しています。その剣をどのように振るうのか今からとても楽しみです」
 ……やはりあなどれない。あの短い時間でディーが持つ剣の銘を見分けるとは。
 またこみ上げてきた笑いを我慢出来ず、思い切りふきだしてしまうアンジュだった。








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