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からっぽ






カラ カラ カラ カラ・・・。
最近よくする乾いた音。
何の音なんだろう?
聞き覚えがあるような、ないような・・・。





よくわからないけど、もう・・・疲れた。







あたしは食品業者で営業事務の仕事をしている。
8時30分出勤、5時30分退勤の実働8時間の会社。
といっても、この不況の時期にそんなことはあり得ない。
毎日6時に家を出て7時15分には会社に入り、7時30分には紺色の平凡な事務服に着替え仕事を始める。
5時30分頃に、ようやくその日の受注の伝票が入るから当然退勤なんてできない。
でも残業手当なんて1円足りとも出ない。
家に着くのはその日にもよるけど、大体8時〜11時くらい。
短大卒のあたしは、手取り17万円の安い給料で一人暮しをしている。
ヘトヘトになり家に帰って誰もいない、それならまだいいかもしれない。
お風呂につかり疲れきった体を癒し、自分のためだけに適当な食事を作る。
それがあたしの夢。
簡単に手に入るような、普通の人にとっては夢でもなんでもないただの現実。
なのにあたしには望んでじゃなきゃ手に入らないなんて。






「あ、香里(かおり)、お帰りー! ねーすっげー腹減ったんだけど、今日の飯なに?」
「今日は肉じゃがに、お味噌汁と冷奴」
「あとは?」




カラ カラ カラ カラ・・・。




またこの音だ。
何の音?
知りたいけど、知りたくない。
知ってしまうと何かがなくなってしまう気がするから・・・。


「香里? あとは?」
「それだけだよ」
一人だったらご飯だけ炊いて、納豆に適当なおかずできっといい。
お味噌汁なんてきっと作らない。
本当に疲れている日はお惣菜を買ってきたっていい。
「オレすっげー腹減ったんだけど、メシ何時スタート?」
テレビゲームをしながら顔をこっちにも向けずに潤一は言う。
「えっと今8時30分だから9時過ぎくらいかな」
着替えをしながら返事をする。
うちの会社の営業事務は事務と名がつくわりになぜか走り回ることが多い。
メーカーさんの急ぎの注文のために倉庫に在庫の確認をしにいったりするからだ。
「えー、そんなにかかんの? じゃあオレ外食しようかな」




カラ カラ カラ カラ・・・。




またこの音。
最近潤一と言葉を交わすたびにほとんど鳴っている。
だから知るのが怖いんだってば。




毎日我慢ばっかりですごくイライラする。
どうして大学生のために、社会人のあたしがヘトヘトになりながら食事をつくらなくてはいけないのか。
「でも、材料買ってきたから食べてよ、頑張るし。ごめんね、もう少し待って」
「えー! わかった、じゃあお菓子食べよーっと」
食事の前にお菓子食べる。
そうやっていっつもお菓子食べて結局ご飯は残す。
付き合った頃は準備だって手伝ってくれたし、残さず食べてくれた。
こんなことなら、合鍵なんて渡すんじゃなかった・・・。




潤一と付き合って3年と少しになる。
潤一は高校野球の県大会で準決勝で敗れたチームのピッチャーだった。
女子高に行っていたあたしはなぜか子供の頃から、高校野球が好きで潤一が負けた予選の大会もテレビで見ていた。
テレビ中継を見てて試合後、悔し涙を流す潤一にすごく胸が熱くなった。
同じ年の男の子が、悔し涙を流すほどに一生懸命練習をしていたのだと思い憧れた。
自分も何か打ち込めるものがあったらと羨ましくも思った。
テレビの中の人に自分を重ねるなんて、あたしも若かった。とか思うけど、でも本当にそう思った。
そんなテレビの中の人だった潤一と付き合うことになったキッカケは、あたしの友達が、彼と同じ大学に進み友達になったことだった。
友達同士で卒業アルバムを見て品評会のようなことをやっていた時に、あたしの写真を見て潤一が紹介してほしいと言った事が始まりだった。
生まれて初めて出来た『彼氏』という存在にあたしはすごく舞い上がっていた。
しかも憧れのテレビの中の人だ。
さらに実家が県のはずれにあったから進学してから一人暮らしを始めたから、寂しかったこともあった。
付き合って3ヶ月した頃には合鍵を渡し、それ以来潤一は部活の後よく遊びに来た。
毎日のように会えるのが嬉しくて、一生懸命料理を覚えて潤一のためにお風呂をいれて、完全に新婚気分だった。
あの頃は本当に幸せだったと思う。
今よりずっと潤一のことが好きで、ただその気持ちだけで幸せだったから。








もし今潤一がいなければどれだけ楽になるんだろう・・・。




カラ カラ カラ カラ・・・。




「ねーまだ? まだならオレもういらない。コンビニでなんか買ってくるから」
ヘトヘトになりながら、文句も言わず潤一のために夕食を作っているあたしに暴言を吐く。
いつものことなのにこの暴言たちに慣れることはない。
「ねー、聞こえてる?」
「あ・・・ごめん。あと5分くらいかな」
時計はまだ8時55分。
あたしは仕事から帰ってから一度も座っていない。
足はむくんで棒みたいだし、すごく疲れてるのにどうしてこんなことをしているの?
潤一はあたしの何・・・?
「そうか。じゃあ、コンビニ行って選んで帰ってくるより早いか。待つ」
「ごめんねー」
悪いなんて、思ってない。
なのに謝っているのは、そうしないと「機嫌悪い」とか言って沈黙の後何かとうるさく言って寝かせてくれないし。
これ以上疲れたくなくて、その時間が無駄だから謝っている。
ただそれだけ。




カラ カラ カラ カラ・・・。




「痛っ・・・」
考えしながら包丁使ってたら手を切ってしまった。
赤く血がにじむ。
そっと潤一の方を見る。
「あははははははははははははは」
いつの間にかテレビはゲームから潤一が毎週見ているバライティー番組に変わっていた。
それを見てお腹を抱えて笑っている。
人差し指から血がまな板に落ちる。
痛い、すごく痛い。
この痛みは・・・?



カラ カラ カラ カラ・・・。







付き合いだした頃はあたしが料理している間に、食器を用意してくれたり、洗濯物を干してくれたりしてた。
洗濯物って言ってもあたしのじゃなくて、潤一の練習着だけど。
それでも練習で疲れてるのに「偉い」と思ってた。
一人暮らしを始めて、料理なんてほとんどしたことがなかった頃よく手を切った。
そのたびに、キッチンまで来てくれてカットバンを貼ってくれた。
心配そうな顔をして。
その後「大丈夫か? 後はオレがやるよ」とか言って代わってくれたりもした。
不恰好な形の野菜たちがすごく優しくて嬉しかった。








カラ カラ カラ カラ・・・。
あの頃はこんな音しなかった。
ただただ、胸が温かくて、優しくて、愛しくて。






テレビを置いている棚の下に救急箱があるので、一応邪魔しないように腰をかがめて取る。
「ちょっとー、今いいとこなんだからー。邪魔だよー」
「ごめん、手、切ってしまって」
血が流れている人差し指を潤一に見せる。
少しは心配してくれるだろうか、あの頃のように。
「何切ってて手を切ったの? 血ついてんならオレそれ食わないよ」
「あー・・・冷奴。でも大丈夫、血はついてないから」
「そ、ならいいけどさー。あ、ちょっと早くどけて。あはははははははは」






カラ カラ カラ カラ・・・。







「別れよう」
その言葉が言えたらどんなに楽になるのだろう。
言えない理由はわかっている。
何度も別れたりくっついたりした。
別れるたびにどうしようもない寂しさに襲われて、悲しくて、辛くて、結局よりを戻した。
最後によりを戻したのは1年くらい前。
またあの時の気持ちを味わうのが恐いんだ。















あー・・・ダルイ。
昨日冷凍庫と冷蔵庫の在庫確認とか言って3時間くらいこもってたからかな。
頭がぼーっとして熱っぽい・・・。
せっかくの休みなのに・・・。
仕方ない、今日は1日寝ていよう。
今は起き上がって自分のお粥を作る元気もない。
冷蔵庫に何かあったかな。
納豆ともずく酢とヨーグルトしかない。
仕方ない、ヨーグルト食べて薬を飲もう。




本当に虚しい、寂しい。
熱が辛くて、一人が悲しい。
薬はちゃんと効いてる効いてる?
今週末はこのまま終わっていくんだろうか。
どうしてこんなに虚しいの?
学生の頃寝込んだ時はどうしていたのだろう。







「悪い、起こしちゃったか?」
目が覚めると潤一がいた。
「熱、だいぶあるみたいだな。ちょっと待ってろ、今お粥作るから」
潤一があたしのおでこを触った後、台所へ向かう。
嬉しい・・・すごく心細かったんだ。
「ねぇ、潤一、明日大会でしょ? ここにいて移ったら困るから、気にしないで帰って」
この秋の大会の為に毎日毎日一生懸命に練習しているんだから、絶対に出て勝ってほしい。
「香里と違って鍛えてるから大丈夫。あ、でも泊まっての看病はできないんだ。明日の会場遠いから。悪いな」
「全然いい。気にしないで。あたしこそ応援に行けないかもしれない・・・ごめん」
「元気になってくれればいいよ。香里に見に来てほしいから付き合ってるわけじゃないんだから」
潤一に抱きしめられてすごく胸が熱くなった。
この腕の中はすごく温かくて、落ち着く。
気づいたら涙がこぼれていた。
「何泣いてんだよ、どうした? オレなんか悪いこと言ったか?」
すごく驚いた顔であたしの涙を手で拭ってくれる。
トクン トクン トクン・・・。
温かい気持ちが湧き上がってくる。
「ううん・・・一人ですごく心細かったんだ。だから嬉しくて」
こうして一緒にいられることがすごく嬉しくて、だから涙が出てるんだ。
トクン トクン トクン・・・。
幸福の鐘が胸の奥で鳴ってる。
「何言ってんだよ、これからだってずっと一緒にいよう。明日、オレ絶対勝つから香里も早く風邪治せよ」
抱きしめながら耳元で潤一が呟くように言う。
また涙が溢れた。
ずっと一緒にいたい。
側で潤一の野球を支えてあげたい。












「何ー? 寝てんの? オレ腹減ったんだけど」
急に遠くから潤一の声が聞こえた。
今度は本当に目が覚めた。
さっきのは大学1年生の今時期、風邪を引いたあたしの為に潤一がお見舞いに来てくれた時の夢だ。
幸せな、幸せな「夢」。
「ごめん、今日熱があって何も作れそうにないんだ」
ベッドに寝たまま頭を潤一の方に向けて返事した。
「えー? マジで? オレ明日大会なんだけど―――」
知ってる、秋の野球のリーグ戦。
神宮球場で戦う為の大切な予選。
「風邪移ったら困るから、帰るわ。お大事にー」
ドアに向かって潤一が振り返る。





カラ カラ カラ カラ・・・。





わかった。
わかってた、この音の正体。
この音は・・・。
「待って、待って潤一!」
ベッドから起き上がって潤一に近づく。
「何? 看病なら出来ないよ。明日は大事な―――」
「別れよう、潤一」
からっぽの音。
何も感じない、何もないからっぽの音。
「何言ってんの? 熱でおかしくなったんじゃないの?」
「ううん、おかしくない。・・・おかしかったのは、今までの方」
ずっとあたしの中で鳴りつづけていた音を無視していた。
おかしかった、ずっと前の恐怖に怯えていたなんて。
「は? 意味わかんない。じゃあ、オレはこれから部活の後どうすればいいわけ?」
「家があるじゃない、潤一には」
言葉を言うまではあんなに怖かったのに。
どうしてだろう、今はスッキリしてる。
「後悔してもしらねーよ」
「・・・うん、大丈夫」
バタンっと勢いよく戸が閉まった。
最後になるなら、こんな寝癖がついたパジャマ姿じゃなくて、キレイな格好してれば良かったかな。
そんなこと考えれるほど案外に冷静でいられるじゃない、あたし。





チャリーン・・・。
ドアポストから合鍵が落ちる音がする。
これからは夢の実現を祝して一人の生活を楽しもう。
それでいつか、ずっと同じ音を鳴らすことの出来る相手を探そう。




もうからっぽの音はしない。







2005.05.14


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■あとがき■
初めてのシリアス系の短編です。
私の中ではハッピーエンド・・・なのですがいかがでしたか?


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