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<第1章 第1話 第1章 第3話>





どうして自分を1番に想ってくれる相手を好きになることが出来ないのか?
もしそれが叶うならきっと幸福が待っているはずなのに・・・。
そうわかっていても器用に恋をすることが出来ない。
そんな不器用な矢印を持った人々の物語。





第1章 まず最初に。

第2話 虚像と実像。






なんでオレはここにいるんだ?
叶はとてつもなく居心地の悪い部屋で、心の中で呟いた。
中性的な美形である高校教師錬と、なぞの美少女春に、半ば拉致の形で連れてこられたこの家。
「悪いな蓮見。これから準備するから、お茶でも飲んで待っててくれ」
リビングの奥にあるキッチンから、錬はガラスのコップに入ったお茶を運んできた。
私服姿を見るのはこれが初めてだが、先生というよりは学生といった感じで若く見える。
「ここ、宮ちゃん家?」
この家は一軒屋だ。中に入る時まで、叶は家族と同居しているのだと思ったが、部屋の感じや生活感を見て、少人数しか住んでいないと考えを改めた。
広いリビングの中には、テーブルとソファー、そしてテレビぐらいしか目立つ家具がない。
「そうだよ」
錬はテレビのリモコンを持ち、電源を入れる。
「広いね、一人暮らし?」
正直叶は、一人暮らしだとは思っていなかった。が、一応探るつもりで遠まわしに聞いてみたのだ。
錬と春が登下校を共にしているを目撃してしまったし、何より彼女は家に入るなり2階へと上がっていった。
恋人なら家にいるのくらいは慣れているのかもしれないが、春はハッキリと「着替えてくる」と言って2階へと消えた。
自分がここに連れてこられたのは、その事実を否定するためか、肯定し秘密にしてくれるよう嘆願するためだと叶は考えていた。
錬は叶の言葉に苦笑した。前者では無理だと思ったのだろう。
「いや、春と二人で暮らしてるんだ」
やっぱり。
叶は別に驚くこともなくそう思った。
教師と生徒が同棲していることは珍しいが、マジメでクリーンなイメージの錬がするというのはよほどのことだろう、と勝手に納得していたからだ。
けれど、なんとなく心の中にザワザワしたものがあった。
叶はそれが一体何なのかが、分からなかったので無視することにした。
錬は自分の言葉にへぇ、としか返事をしなかった叶に、少しだけ驚いたがしっかりと言い訳をしようとさらに口を開き始めた。
「たぶん、蓮見は誤解してるよ。オレと春の関係」
「誤解?」
「オレと春は恋人じゃない」
そうきっぱりと言い放った錬に叶は心の中で「絶対ウソだ」と思った。
叶は心の声をハッキリと顔で語っていたので、錬は思わず声を出して笑ってしまった。
「え、オレ何かした?」
自分の顔が口ほどに物を言うことを本人が気づいていないのが、さらに錬の笑いを誘う。
叶はあっけにとられ、呆然と錬を見つめた。
「何? 何か楽しいことでもあったのー?」
2階から私服に着替えて降りてきた春は、錬が笑っている姿を確認し、二人の近くに腰を下ろした。
「別に、何もねーよ」
叶はいつも通りに答えたつもりだが、あきらかに春の視線をさけている。
元々女子から「可愛い」と言われつづけたため苦手だが、春は別格だ。
「可愛い」と言われたことが腹立たしいのは事実だが、どうやらこの感情はそいうのとはまた違う。
自分でもわからないが、「苦手」の2文字で片付けられることではないのだ。
「えー! ずるい、あたしも仲間にいれてよー」
春は相手の目をきちんと見て話さないと気がすまない性格らしい。
まったく春の方を見ない叶を、覗き込む。と同時に、叶は驚き一瞬飛び跳ねた後、後方へと下がる。
「うわ、すごい。驚いて飛び跳ねた人初めて見た」
春のからかうような言葉に、赤い顔がさらに赤く染まる。
「じゃあ、オレ食事の用意するから、春は蓮見と遊んでて」
何となく先ほどの話の続きをする雰囲気ではなくなってしまったので、錬は立ち上がりキッチンへと移動する。
「え、宮ちゃん、オレ別に一人で大丈夫だからこいつ連れてって!」
本当に困惑した表情に錬は少し同情したが、春が「了解」と言ったので苦笑して叶の申し出を却下した。









錬がキッチンで夕食の用意を始めてから30分ほど経過している。
その間、叶は春のマイペースさと、不意をつく視線の結合に心臓が止まるかと本気で何度も思った。
制服姿でもあれだけの美少女が、私服姿で近くにいる。
自宅にいるというのに、外出でもするような格好だ。
白のシフォン素材のプリーツスカート、七分丈の薄いピンク色のカットソー。顔も先ほどとは違って華美ではないが、化粧がされている。
(なんなんだこれは!?)
自分の心臓の早さに、叶は真剣に戸惑っている。
こんな経験は初めてなのだろう。
「そうだ、叶はフォーサイトのファンなの?」
目を合わせないように俯いていた叶を覗き込むようにして春が訊ねる。
驚いて顔をあげ、そのまま頭をたてに振った。
「へー、そうなんだ。あ、じゃあ誰か好きな選手でもいるの? ちなみに叶のポジションってどこ?」
質問をするときに、春の大きな瞳はさらに大きさを増す。
先ほどと違って、睫毛にマスカラが施されていることもあって、叶は目が離せなくなった。
(でっけー目だな・・・。顔の半分くらい目なんじゃねーのか?)
そんなはずは無い。が、叶にはそのくらいに映っているようだ。
「おーい、オイオイオイ。聞こえてる?」
声と同時に目の前を春の手の平が何度も横切る。
「え? 何にも聞いてねーけど」
「だから、好きな選手でもいるの? ってことと、ポジション」
春は呆れたということを大げさに示すために、胸の前で腕を組む。からかっていると、すぐわかるが、そのポーズも叶にとっては心臓の動悸が増すだけのようだ。
自分が春を見つめていると知り、叶は大きく頭を振った。
自分の行動が恥ずかしくて、思いきり自己嫌悪に陥ったからだ。
「あ、質問ってなに?」
ようやく本来の自分に近づいたところで、春の視線から目を離すことに成功した。
「えー、また聞いてなかったの? あのね―――」
春の言葉と重なるように、インターフォンの音がなる。
大きな瞳は輝きを増し、口元には美しい笑みが浮かぶ。
今までに無いくらいに叶の胸は激しく音をたてる。無意識のうちに叶の手が春に伸びたが、それに気づかぬまま彼女は玄関へと走ってしまった。
残された手に、叶はリビングのカーペットの上で悶えた。
一体自分が今何をしようとしたのか、手を出した時は無意識だったが、残された時に気がついた。思い出すと顔から火が出るのではないかと思うくらいに恥ずかしかった。
ガツンっと金属がぶつかるような音をした後、叶は頭を押さえた。
悶えているうちに、テーブルの足に頭をぶつけたらしい。
(いってーーーーーーー。ってなんかオレばかだ。意味わかんねーし、もう帰りてーよ)
そう思っている叶の目に薄っすらと涙が浮かんでいたのは、頭をテーブルの足の金属にぶつけたからなのか、自分の羞恥心に負けたためかはわからなかった。








叶を車に乗せた直後、「今日はスペシャルゲストを呼んでるから」と錬は確かにそう言った。
あの後めまぐるしく色々なこと(叶限定で)があったから、そんな言葉はすっかり頭の中から抜けていたのだろうな、と錬は少し同情した。
そして自分がその人物について全く叶に告げていなかったことも、少し申し訳なく感じた。
恐ろしく緊張した顔で、リビングのソファーで固まっている。借りてきた猫とはまさにこういう状態をいうのだろう。
「やっぱり住む人間が変わると、家の雰囲気も違うっすねー」
スペシャルゲストこと鈴生健志朗(すずなり けんしろう)は、キッチンで周りを見渡している。
「そりゃ、5人家族で暮らしてるのと2人じゃ家具の数も違うしな」
叶から視線を鍋の中で美味しそうに音をたてている、から揚げへ移動させる。
「監督今どこに住んでるんすか? オレんちの近所とかだったらマジでイヤっすねー」
「ここのすぐ近くだよ。何なら今から招待するか?」
錬の意地悪い表情に健志朗は肩をすくめた。
試合で疲れていると言うのに、学生時代の監督にあって、今日のプレーのダメ出しをされるのだけは絶対にイヤらしい。
この一軒家はもともとアメリカンフットボール部の監督を招く時に大学が社宅として建てたものだ。
昨年末にマイホームが完成しここが空家になったため、錬が住んでいる。
教師としてまだ2年目の錬が築20年とはいえ、一軒屋の社宅を借りられたのはひとえに監督の口添えのおかげである。
「それにしてもいい匂いっすねー」
キッチンにはグラタンの匂いが充満している。
今日のメインディッシュであるグラタンは、健志朗の熱烈な要望に応えたものだ。
「あと少しだから、我慢しろ」
今にもオーブンから取り出して食べ始める勢いだった健志朗を、何とか思いとどまらせる。
錬が健志朗を思い出す時に、真っ先に頭に浮かぶものの一つが「グラタン」というくらいの大好物だ。
健志朗の様子を横目で監視しながら、から揚げをキッチンペーパーをひいた、バットに移動させる。
こちらも中々いい匂いがしている。
「あ、そーだ。錬さん、お土産買ってきましたよー」
から揚げの匂いに、健志朗は買ってきたものを思い出した。どうやら彼の中では必需品なのだろう。
足元に置いてある袋を両手で掴み、錬の前に出す。
ガサガサっという音からして、スーパーかコンビニで購入したものだろう。
「悪いな、ってお前が飲みたくて買ったんだろ?」
思わずノリつっこみをしながら、錬は苦笑する。
健志朗の買ってくるものなら、容易に想像がつく。もう8年の付き合いだ。家に遊びに来るのに、手土産を持って来るような性格でないことは、とうの昔から知っている。
「いいじゃないっすかー! 久しぶりなんっすよ、ビール飲むの」
そう言いながら錬の隣でさっそく缶ビールの蓋を開ける。
「あ、錬さんもどうっすか?」
一応お土産と言ったものを、受け取った本人に断りなく開けることを躊躇ったらしい。態度を見ていると忘れがちだが、彼は厳しいアメリカンフットボール部では「後輩」だったのだ。
錬はありがとう、と呟いて缶ビールを開ける。そして2人とも缶を傾けた後、美味しそうにビールを喉の奥に流し込んだ。
「テーブルの上の用意は出来たよー。お料理はどう?」
リビングから聞こえた春の声に、錬は慌ててオーブンを覗く。丁度いい焼き加減に、思わずほっとため息をつき、「丁度できたよ」と返事をする。
オーブンを開けるため、ビールとグラタンを同時に見たときに「あれ?」と盲点だったことに気がついた。その重要事項を健志朗に問う。
「ところでグラタンとビールって合うのか?」








「叶、息してる?」 
春が覗き込んで10秒ほどした頃、叶はようやく言葉を思い出したらしい。
「て、てめぇ! そーいうことやめろ!!」
先ほどまでなら1秒かからない間に悪態をつきながら後ずさるという技を披露していたのに、10倍かかったということは、健志朗の登場はそれだけ叶への衝撃が大きかったということだ。
「そーゆーことって?」
デジャブ・・・? さっきも同じような会話をしたような気が。
叶はさっきまで言葉を忘れるくらい衝撃を受けていたのに、あっさりと春のペースへと巻き込まれた。
さらに何か言ってやろうと思った時に、キッチンから錬と健志朗がリビングへと入る。
叶は固まってただ黙って叶を眺めた。
(うわ・・・本物だ)
自分の人生に大きな影響を与えた憧れの人物(一方的だが)が、今目の前にいる。
さっき春とリビングから入って来たときは、あまりのことに口を開けたまま固まってしまった。
一応何やら春が叶を健志朗に紹介していたようだったが、全く耳に入ってこなかった。
今もそれとあまり変わらない。
映像だけは動いているが、音声がない。
目の前の健志朗は、ビールを片手に錬と何かを話している。そして、叶の斜め向かいのイスに腰を下ろした。いつの間にか春が、健志朗の横に座っている。その光景に、叶はようやく音声を取り戻した。
「そういえば春、健志朗に蓮見のこと紹介したのか?」
グラタンを一人一人の前に置き終わり、錬は叶の隣のイスに腰を下ろす。
「うん、アメフト部の叶だよって。ねー」
ねーのところで春は健志朗の顔を覗き込むように、顔を傾ける。
「今年の新入生の蓮見叶だ。QBだよ」
春の紹介のアバウトさに、叶には同情したが、そういえば春は紹介できるほど親しいわけではないと気づく。
錬にとっても今日は中々心労が多い日だったようだ。
「あ、よ、よろしくお願いします」
音声が戻ってからも、普段の叶とは別人のように大人しい。錬は口元を緩めた。
「どうも、鈴生です」
健志朗は小さく頭を下げただけだったが、叶はとてつもなく嬉しかった。
自分の言葉に、憧れの人物が反応してくれている事実が、夢の中の出来事のように感じているからだ。
(あ、もしかして夢か? そういえば、今日は良いことばっかりだ!!)
急にこの現実が不安になって顔を下げる。
なんとか夢でないことを証明する手段を探してみたが、当然見つからない。
ただ、現実であってほしい。そう思い叶は諦めて顔を上げる。
「じゃあ、食べようか」
錬の言葉に健志朗と春は声をそろえて「いただきます」と笑顔で言い、さっそく食べ始める。
叶は一足遅れて「いただきます」と小さな声で呟き、錬特製のグラタンに手を伸ばした。












(こ、これは絶対夢だっ!!)
食事を開始して1時間半ほど経過した頃だろうか、叶は目の前の光景を前にそう思った。いや、願ったのだろう。
先ほどまでは現実であってほしい、と願った叶は既にそのことなどスッカリ忘れた。
ポジション発表までは現実で、今日ここに来た後からはすべて夢ということにならないかと、都合の良いことを心の底から願った。
「錬さーーーん、トイレ言ってきますっ!!」
ガタンっと大きな音を立ててイスが倒れる。
その様子を全く気にせず錬に向けて敬礼する健志朗。
叶はこの1時間半の間に、すでに3回目となる光景を前にがっくりと肩を下ろした。
健志朗のプライベートのことを想像したことは1度もない。けれど、テレビや観客席から試合中の健志朗を見ている限りでは、冷静で、真っ直ぐで、いつも真剣な表情を浮かべている。
試合中に真剣な表情なのは当然だし、リラックスしている時間が必要なのも理屈ではわかる。わかるが、ファン心理としてはそう素直に納得できるものではない。
何より、健志朗は叶の人生に多大な影響を与えた最も重要な人物なのだ。割り切れと言われてもそう簡単にはいかない。
「いちいち報告しなくていいから、さっさと行け」
錬は手を振り、顔も上げずに健志朗に告げる。
その表情には呆れた様子も、起こっている様子も無い。
学生の頃から見慣れているのだろう、いたって普通のことのように振舞っている。
その錬の様子に、叶はこの健志朗の行動が今に始まったことではないと何となく勘付き、深いため息をはく。しかし、心の中にある最後の砦といえる「尊敬」というラインをギリギリで越えない状態を保っていた。
食事を始めてからはたった1時間半だが、その前からキッチンで飲んでいたのを入れると2時間くらいになるだろう。
すでに健志朗が買ってきた350mlビールの空き缶が、15個ほど置いてある。
「錬さん、酷いっすよー。可愛い後輩にそんな言い方」
今度は床に突っ伏して泣きまねを始めた。
そしてただでさえ酔っていて、おぼつかない足取りなのに、床を転がりだす。さらに酔いが回ったようだ。
健志朗の目線にあわせ、しゃがみこんだ春を前に泣きまねをやめ、身体を起こす。お互い瞳を見つめあったまま微笑んでいる。あくまで叶の見た感じでは、だが。
その様子になぜか、無性にイライラして、喉が渇く。
視線は健志朗をしっかりと見つめたまま、近くにあるグラスを見ないで掴み飲み干す。
その隣で錬がぎょっとした表情をしたことに気づく様子も無い。
「可哀想な健志朗くん。よし、じゃああたしが慰めてあようかな」
「ありがとうぉ、春ちゃんー。じゃあ、今日は春ちゃんの部屋にぃ・・・泊めてもらろうからぁぁ」
だんだんと呂律が回らなくなってきている。
起き上がった反動でさらに、酔いが回ったようだ。
「もちろんー」
「はぁ!?」
自分の思考よりも早く言葉が飛び出した。
今の言葉で「尊敬」というラインを見事に飛び越えた健志朗は、酔っているためか、全く聞こえていないらしい。
春は驚いた表情で、視線を叶に向ける。
「おい、お前何言ってんだよ!」
叶が立ち上がったことで、ガタンと大きな音をたてて、イスが倒れる。
先ほど健志朗が倒した時よりも大きいかもしれない。
しかし健志朗はその音にも全く動じることのない様子がない。相当酔っているらしい。
叶はまず、今にも抱き合いそうな距離感の二人を引き離し、錬にも睨みながら言葉を放つ。
「つーか、宮ちゃん! 自分の彼女にこんなこと言われてていーの?」
なぜか、体が火照るように熱い。
頭がぼーーっとして、それでもこの状況が許せなくて、錬を睨みつける。
「え? あぁ、蓮見。そのことなんだけど―――」
「そして、お前! 宮ちゃんの前で他の男といちゃつくんじゃねーっつーのー!!」
大きな声を出すと、さらに頭がぼーーーっとする。
フローリングの床に立っているはずなのに、雲の上にでもいるような錯覚に陥る。
「叶? あ、もしかして―――」
「おい、鈴生! 寝言は寝てから言えーーーっつーーのぉ」
春の言葉を遮って今度は健志朗にお説教を始める。
二人の言葉を遮っているので、自分の勘違いしている事実に気づくことができていない。
「寝言・・・? オレは起きてるっすよーー」
健志朗はまぶたがほとんど開いていない。
叶を錬と勘違いしているようだ。
「蓮見、落ち着け」
健志朗と同じ量をを飲んでいるはずの錬は、全く平然と立ち上がり、叶の肩を押さえなだめる。
「なんで、なんでっ・・・酷いよーーーー」
突然泣き出した叶に錬は顎を落としかけた。
(こいつ、酔ったら泣き上戸になるのか・・・)
顎を落としかけた直後にしては、冷静に心の中でそう思っている。
「鈴生健志朗」という人間を、テレビや観客席から見ている間、虚像を作り上げていた。叶だけではない、おそらくアメリカンフットボールをやっている人間なら、おそらくすべての人がそうだろう。
そのくらい、健志朗は才能があり、能力があり、スター性がある。
実像を見てショックを受けたためか、錬と付き合っているはずの春が、健志朗と親しくしていることに嫌悪感をもったのかは定かではないが、涙が止まらない。
ひょっとすると、ただ単なる泣き上戸という線もあるが。
先ほど叶が飲んだのは、ロックのウィスキーだ。
ビールに飽きた錬が、自宅にあったのを飲むために注いだ直後だった。
おそらく人生で初めてお酒を口にしたのであろう、叶には強すぎるアルコールだ。
錬は春に二人分の布団をリビングの横の空き部屋に敷くように言い、叶をなだめながら、水を飲ませる。
ようやく落ち着いて、「ごめん」と呟き眠たそうにまぶたを閉じている叶を見て、学生時代の健志朗のことを思い出し、口元を緩める。
そして、さっきから言いそびれていた事実を明日には忘れてしまうかもと思いながら、耳打ちした。「春はオレの従兄妹だよ」と。










叶を隣の部屋に運び終え、床に転がってる健志朗を一応起こす努力をしてみる。
(ま、無駄だよな)
3秒で諦め、健志朗の鍛え上げられた身体を背負う。
学生時代は何度となく行ったことだ。けれど、あの時よりも格段に体が重くなっている。
健志朗はただの天才ではない。努力も誰よりもするし、メンタルも強い。
学生時代は何度となく助けられた。
一緒にプレーするのが、楽しくて仕方なかった。
「錬さーーーん。見てくらさいよぉぅ、ころビレオの顔ぉ。せんれんラメっす・・・点、取られてからぁ、みんらーもうらけたかろっすもん」
背中の健志朗が、ボソボソっと言った寝言を錬はすべて聞き取れた。
――見てくださいよこのビデオの顔。全然ダメっす! 点取られてから、みんなもう負けた顔っすもん――
錬が大学2年生の時のシーズンで負けた試合の後、健志朗が言った言葉だ。
この言葉のおかげで、その年日本一になることができた。
大学生の時、健志朗が負けた試合の後に言った言葉だったからだ。
言った本人はその言葉を裏切ることは1度もなかった。
試合中、オフェンスとディフェンスが完全に分かれているアメフトでは、健志朗はディフェンスに回ることはほぼない。
なのでディフェンス中に点数を入れられたら、次のオフェンスで取り返すしかないのだ。
それでもどんなにピンチの場面でも、健志朗は決して負の表情をしたことがない。
叶が涙を流すほどショックを受けたフィールド以外の健志朗の姿は、確かに今年24歳になるというのに、大人とは到底思えない。けれどフィールドでは、健志朗の実像は誰よりも素晴らしい選手なのだ。
普段がどうであろうとも。
(お前はすごいよ、健志朗。・・・またいつかお前とゲームやりたいな)
そう思いながら、シーズン中の大事な天才プレイヤーを丁寧に布団へと降ろした。





  

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2005.07.09更新

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