今から2年前のゴールデンウィークの出来事をオレはきっと一生忘れることはないと思う。 「ごめんなさい。あたし付き合っている人がいるんです」 重たかった空気が一瞬で軽くなったように感じた。 軽くなりすぎて転びそうになったくらいだ。 「えっと・・・あ、そうなんだ。うん、そうだよね。何言ってんだ、オレ」 自分でも何を言っているのかよくわからない。 この時のオレには「失恋」という心の用意がなかった。 だからと言って良い返事だと思っていたわけじゃない。 とにかく何かしなくてはという衝動で行動していたので、本当に何をしたらいいのかわからなかったのだ。 「それに真人さんも彼女いるんですよね。お兄ちゃんから聞きましたよ」 「・・・・・・・・」 麻衣のことか? それとも「付き合わなくても良い関係」の女のことだろうか? どっちにしても「彼女」はいない。 それを今必死に弁解するのはどうだろ。 ふられたことは確かで、オレの願いを叶えることは不可能なんだ。 意味がない。 「もう子供じゃないんだからからかって遊ばないで下さいよ。じゃあ戻りましょうか」 栞ちゃんの声は冗談まじりで、オレ言った言葉を本気にしてないんだと思った。 それならそれでもいいのかな。 冷静に考えたら、大人とは言っても大学生くらいだろう。 それに向居の妹だ。 友達の妹に手を出すなんてかっこ悪い。第一向居に申し訳がたたないし、何より気まずいし。 キイと少し錆びついた屋上のドアが開く。 「どうしたんですか?」 あれこれと頭の中で考えていたのに、気づいたら足と手が勝手に動いて栞ちゃんの腕を掴んでいた。 今何か行動しないと一生後悔するっていう衝動が未だに終わっていないみたいだ。 「彼女はいないし、からかったわけでもない。栞ちゃんに彼氏がいるのはわかった。それでも、友達としてでもいいから、この先も会ってほしいんだ」 「友達としてでもいいから」なんて、この時のオレの言葉を学生時代から知っているやつらが聞いたら本気で驚くだろう。 たぶん沢崎の激変ぶりに匹敵するくらいオレもおかしくなっていた。 自分自身、オレにこんな言葉が言えるとは思っていなかった。 それどころか本能だけで動いていたから他のことを考える余裕が全くなかった。 このまま彼女と別れてしまうと絶対にこの先一生後悔する。 この次に続けないと自分がおかしくなってしまう。 そんなことを頭のどこかで思っていた。 心のどこかでわかっていた。 オレの必死の思いが通じた(?)のか「友達として、先輩として相談に乗ってください」と彼女は言った。 2次会の会場から家までの帰路をタクシーに乗るのも忘れて歩いて帰った。 「好き」とか「付き合ってほしい」なんて口に出して誰かに言ったことがあっただろうか。 あったとしても10年以上前の高校生の頃が最後じゃないのか、とか。 思い出して顔が真っ赤になって自分の言葉に悶えたりしてた。 かと思えば「彼氏がいる」という言葉を思い出して落ち込んだりして。 深夜の道だったから良かったけれど、人がいたら絶対におかしいやつだと思われただろう。 家に帰ってケータイを開いて彼女の連絡先が登録されているのを何度も確認した。 本当は今すぐにでもメールを送って本当に届くか確認したかったけれど、深夜に来年30になる男が常識のない行動をとるのは・・・と思いとどまった。 けれどどんなメールが彼女の印象を良くするだろうと送信できないメールを何度も考えた。 朝が来るのが待ち遠しかった。 栞ちゃんのことを思うと眠れなかった。 本気で誰かを好きになると人はおかしくなるのかもしれない。 そうならオレは本当におかしくなっている。 人生最大におかしくなってしまってる。 そして2年経った今も相変わらずオレは「おかしい」ままなのだ。 それからのオレは「しつこい」と思われない程度にメールや電話をした。 「付き合わなくても良い関係」の女とも会わなくなった。 だからと言って栞ちゃんに会えるわけじゃなかった。 彼女には付き合っている男がいるのだから当たり前だ。 それでも諦められなかった。 それどころかそんな考えが全く浮かばなかった。 口に出して言うことは向居の結婚式以来しなかったけれど、いつも栞ちゃんのことばかり考えていた。 「そういえば塚田最近たばこ吸ってないよな。オレに気を使ってるなら気にしなくていいよ」 沢崎に招待されたので、新居に遊びに来た。 奥さんと子供のためにマンションを買ったのだ。 貯金なんて言葉を知らないようなやつだったのに、奥さんと出会ってからはしっかりと貯めていたらしい。 「けどベランダでな」 新しいカーテンが掛けられているベランダの方を指差す。 「オレもやめたんだ。だから気を使ってるわけじゃないよ。あ、すみません」 奥さんが手料理を作ってもてなしてくれる。 1歳になった子供2人はオモチャで必死になって遊んでいる。 「お前何かあったのか?」 「は? 何がってなんだ?」 心配そうに沢崎が覗き込んでくる。 「だってお前がたばこ止めるなんて有り得ないだろう。体調でも悪いのか? あ、この間の健康診断でどっかに異常でも見つかったのか?」 異常って・・・。 「違うよ、別に何となく」 「絶対ウソだ。お前が何となくでたばこ止めるわけがない!!」 その通りだ。 当然何となくじゃない。 栞ちゃんが「たばこの煙で気持ち悪くなった」と言っていたから、止めようと思ったのだ。 会うことすら出来ない彼女に対してどうしてここまで出来るのか、自分で自分のことが不思議で仕方ない。 「うるさいな、何となくなんだよ」 この頃には沢崎が奥さんと出会って変わったことがしっかりと理解できていた。 けれど沢崎は見事に奥さんと付き合い、結婚し、子供までいる。 その沢崎に自分は会うこともできない彼氏もちの大学生の女の子に片思いしている、なんて恥ずかしくて言えるわけがない。 おまけに原動力だと言い切っていたたばこをあっさり止めるなんて、ますます言えるわけがない。 「あ、まさかお前」 「うるさいな。うまそー、いただきます」 これ以上追求しないでくれ。 自分でも充分わかってる。 沢崎の家に招待された日から2ヶ月後、オレの人生を変える転機の前触れが起きた。 それは久しぶりに向居と仕事の後飲みに行った時。 転機の前触れ「チャンスの到来」を知った。 「え? 栞ちゃんが彼氏と別れた?」 突然向居がこんな話をするわけがない。 オレが気になって仕方なかったので、それとなく探りをいれたのだ。 「よくわかんないけど、昨日母さんから栞の誕生日を家でやるから来ないかって連絡があってさ」 「栞ちゃんもうすぐ誕生日なのか?」 「1月20日だよ。久しぶりに栞が家にいるって母さん張り切ってて」 1月20日というと8日後だ。 久しぶりっていう理由はなんとなく知ってる。 彼氏とは大学1年生から付き合っているようなことを言っていたから、それでだろう。 「そうなんだ」 昨日メールしたけれど何も言っていなかった。 オレに言ってこないってことはまた告白されるのが嫌だってことだろうか? 「真人って栞と何かあったか?」 「え?」 向居の言葉に心臓が飛び出すかと思った。 内緒にしているわけではない。 ただ「お前の妹に告白してふられた。諦められないから友達になってもらった」と報告するのは情けないと思っただけだ。 けど良く考えれば栞ちゃんから向居の耳に入ったかもしれない。 「え、ってことは何かあったのか?」 向居の表情がかなり険しくなっている。 「何もないよ。ただ」 「ただ何だよ」 向居は今までのオレを知っている。 だから当然オレが栞ちゃんを好きだと知ったら、嫌がるに違いない。 だけど、バレてるなら言わないのは余計情けない。 「栞ちゃんを好きになって、それでふられた」 向居の視線から目を逸らさないで言った。 もうすぐ30歳になるというのに、この熱さ。 自分で自分の言葉が暑苦しくて仕方ない。 オレがこの言葉を聞く向居の立場なら、この場から恥かしくて逃げ出したいくらいだ。 向居はいいやつだから真剣な顔で聞いてくれてる。 「そう、か」 絶対にキレられると思ったのに、表情が柔らかくなった。 ふられたって言葉に安心したのだろうか? 「勝手にこそこそしてごめん」 向居が驚いた顔でオレを見る。 その顔にオレが驚く。 「お前、おかしいよ」 「・・・・・・知ってるから、言うなよ」 向居がお腹を抱えて笑い出した。 たぶんこの行動はごくごく自然なことなんだろうな。 この先オレの栞ちゃんに対する気持ちを誰かが知ったとき、きっとみんなこうなるのだ。 後から聞いた話では、向居はオレがなぜか栞ちゃんのことを真剣な表情で聞いているからカマをかけただけだったらしい。 オレは人から何を考えてるのかよくわからない、と言われる人間なのに栞ちゃんの件に関してはおそろしく単純になっていたのだ。 向居と会った日からオレは今までより少しだけ積極的に行動してみた。 そして誕生日の前日に栞ちゃんに会うことが出来た。 もう一度自分の想いを告げたけれど、「別れてすぐ違う人に行くのはどちらにも失礼だ」と言って断られてしまった。 けれど栞ちゃんを出会って片思いをしてきた8ヶ月間を思えば、少しだけ向上したと思って嬉しかった。 本当に自分でも信じられないくらいの純真さだ。 そして2ヵ月後の3月ようやく栞ちゃんと付き合うことが出来た。 この日の事もオレは一生忘れることはない。 断言できる。 そして栞ちゃんと付き合うようになって1月もしないうちに思ったこと。 「彼女と結婚したい」ということ。 タイミングがどうだこうだと思っていたのがウソみたいに思えた。 たった1年半程度の時間で人間の考えが全く正反対になるとは自分でも信じられない。 けれど今すぐにでもしたい、と思った。 麻衣と付き合っている間、オレは束縛されていると感じたことがほとんどなかった。 それなのに、結婚は縛られることだと感じた。 それがどうしてか栞ちゃんとだとその拘束さえも幸福なことのように思える。 毎日朝も夜も一緒に過ごせる。 オレが生きている間、ずっと側にいてくれる。 2人が共に過ごした証として、子供だって作ることが出来る。 そんなことを毎日毎日考えていて、いてもたってもいられなくなっていた。 「オレって気が早いよな」とか「やっと付き合ってもらったばっかでムリだろ」とか思うことはたくさんあったけれど、ふらっとお店を覗く。 お店を出たときには小さい紙袋を手に持っていた。 中にはキレイに包装された箱。 麻衣がオレと別れてたいして時間が経過する間もなく他の男と結婚した理由が今ならわかる、とこの時になって思った。 人を好きになるのに、時間とか理由とかってそんなに重要なことじゃない。 この人と結婚したいと思うことも同じだ。 「自分の時間が」とか「やりたいことが出来ない」とか思っているうちは絶対に結婚できない。 できないというかしなくていい。 沢崎の言った通りそれらを犠牲と感じなくなった時、感じない相手と出会えたとき、その時にきっと結婚したいと思うんだ。 麻衣はオレにそれを感じてくれていた。 オレはそう思えなかった。 どうしてあんな風にしか麻衣に言ってあげられなかったのか、とこの時初めて後悔した。 麻衣が選んだ男と幸福な時間を過ごしていてほしいと思った。 「栞ちゃん、大事な話があるんだ」 どうしてこの大事な場面で声が裏返ったんだ! と今となれば冷静に思うけれど、この時は無我夢中だったから全然気にならなかった。 「はい、なんでしょうか?」 声が裏返ったからか栞ちゃんは少しだけ笑いながらそう答えた。 「あの、さ。けっ・・・け」 カッコ悪い、最悪だ。 「・・・・・・?」 きょとんとした顔っていうのはこの時の栞ちゃんの顔だろうな。 声が裏返るどころか口から出すことも出来なくなったオレは、仕方なく右のポケットに忍ばせていた包装された箱を出した。 「・・・あたしに、ですか?」 栞ちゃんの言葉に頷いた後、心を落ち着かせるために深呼吸をする。 「開けてみて」 やっとのことで言葉が出た。 栞ちゃんは几帳面な性格がこの様子を見ただけでわかるくらい、丁寧に包装紙を外す。 絶対に落ちると言われた母校の大学を受験した日も緊張したが、ここまでじゃなかった。 今までのオレはそのくらいしか緊張っていう経験をしたことがないくらい、マイペースで気楽に生きてきてた。 30年も生きていてオレが「オレ」だと思っていた人格はまだほんの一部だったことに、栞ちゃんと出会って知った。 いや、栞ちゃんとあの日出会うことがなかったらきっと「オレ」は一生ほんの一部だけの、ちっぽけな人間で生きていったに違いない。 包装紙の中から薄いグリーンの箱が現れて、それを栞ちゃんはゆっくりと開ける。 中からオレの人生最初の一大イベントの結晶が現れる。 「・・・気が早いと思われるかもしれないんだけど」 気の利いた言葉というのは、本気で好きな人には言えないのかもしれない。 この一生に一度の大事な場面で、オレはこんな言葉しか言えなかった。 「気が早いですよ。私社会人になってまだ2ヶ月なのに」 栞ちゃんが笑ってくれたので安心した。 けれど返されたらどうしようと不安になった。 ころころ変わる感情というのも栞ちゃんと出会ってからは良くあることだ。 「真人さんが良ければ、来年まで待ってもらえますか?」 「・・・・・・・」 「それまでに頑張ってお料理も覚えるし、真人さんにタメ口で話せる練習をしておきますから」 栞ちゃんの笑顔が言葉が、大事そうに指輪を見つける瞳のすべてが嬉しかった。 こんなに幸福な瞬間があるなんて知らなかった。 「もちろん、待ってます」 オレの言葉に栞ちゃんは楽しそうに笑ってから 「真人さんが敬語になってますよ。せっかく努力しようとしてるのに」 と嬉しそうに答えた。 翌年のゴールデンウィーク。 栞ちゃんと再会してちょうど2年目の今日。 オレ達の結婚式。 オレが栞ちゃんと結婚するまでの道のりで変化したこと。 失ったもの。 たばこ。 合コン。 休みの日の無駄な睡眠。 得たもの。 何事にも変えがたい幸福な時間、空間。 この世にたった一人しかいない、大切な人。 そして赤の他人だった人を父、母、おまけに兄(笑)と呼ぶようになったこと。 「上村さん、井上、今日はゴールデンウィーク中に、悪いな。来てくれてありがとう」 |
2005.11.07
後書き> 恋の法則の1話目を描いたとき、麻美と塚田とのその後関係をどうするのか迷っていました。 続編を描くかも微妙だったし・・・。 それが描き始めた途端突然麻美が井上くんとあんなことになってしまったうえに、塚田は結婚しちゃうし(笑) 勝手に動いてくれるキャラ達なので法則シリーズはあたし自身どうなるかわからず、毎回ハラハラしています。 余談ですが、あたしの母の兄(叔父)と父は高校の同級生で、塚田と向居、栞とほぼ同じ関係なのです。(ちなみにゆえの父ではないですよ) 描き始めてから気づきました(笑) あたしの父は当時叔父に対してどういう心境で母と付き合っていたのか、お正月に帰省したときにでもじっくり聞いてみようかな。 |
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